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【コラム】加藤浩次の吠え魂

【コラム】 加藤浩次の吠え魂 「ガキ大将帰宅」



吠え魂、第2章へ―


「極楽とんぼ加藤浩次の吠え魂」の前身の番組、「極楽とんぼの吠え魂」が開始されたのは、たしか私が大学受験を控え、予備校通いをしている時だった。おそらく、ラジオというものを最も多く聞いている階層である受験生。私もご他聞漏れず、彼らの番組を受験期の数少ない楽しみとして享受していた。


極楽とんぼという存在。平成に入り、スマートなお笑いを主とする芸人が多い中、彼らの存在は異彩を放っていた。暴力的で、泥臭い彼らの芸風。昔堅気の“芸人らしい芸人”に私は心から惹き付けられ、その想いは「吠え魂」というラジオによりさらに強いものへとなっていった。


「吠え魂」というラジオ番組、その形がほぼ完成したのは、開始から約1年後、加藤浩次がリスナーに対し「武闘派リスナー」という呼び名を与えた時からだったと思う。ラジオリスナーとは、その芸人にとって最も近くにいるファンである。テレビでの、ある意味で演出された彼らではなく、“素”の彼らを愛している層であるからだ。したがって、多くのラジオ番組において、リスナーはDJの味方であり、その投稿は多くがDJを称えるものとなる。


しかし、「武闘派」と称されたリスナー達は、平気で、相方であるところの山本を「豚」と罵り、「プレゼントよこせ」と叫ぶ。本来のセオリーからは全てが逆。だが、それが心地よい。少年時代、ハラハラしながら、仲の良い友人達と共に悪さをする感覚。「加藤浩次」というガキ大将に、「山本圭一」といういじめられっ子、そして僕ら― そんな不器用な一体感が「吠え魂」にはあった。そう、加藤が示したのは、単なるリスナーの呼称ではなく、極楽とんぼへの愛の表現方法であったのだ。


そんなワルガキ達のうたかたの夢は、“あの事件”と共に終焉を迎える。一番出来が悪く、だが一番愛されていた、いじめられっ子が起こした問題。これは許されることではなかった。あの時、ガキ大将が見せた大粒の涙は、大いなる落胆と決して表現してはいけない愛であったのだと思う。その涙を見た「武闘派」達は、「吠え魂」という夢が覚めることを理解した。同じく、大きな落胆と愛と共に。


そして今、再びあの夢を共に見る時が来た。ガキ大将は少しばかりスッキリしない声色で今一度口を開き始めた。―「こんばんは、加藤浩次です。帰ってきました!」
皆から愛されたいじめられっ子は今は、いない。だが、「極楽とんぼ」という名前はガキ大将の手によって未だここにある。今は決して口に出してはいけない言葉ある。だが、「武闘派」達は来るべきその時に向け、刀を研ぎ続ける。豚をぶった切るその刀を。


伝説再び―

「加藤浩次の吠え魂」は息子のうんこの話題から幕を開けた。



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三日で90万(笑)
Excerpt: 少し前までドウ○イだったのに、今ではセッ○スで生活してます(笑)
Weblog: たけちゃん
Tracked: 2007-06-04 00:25